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『うたかたの恋』(うたかたのこい、原題:''Mayerling'' )は、1978年に初演された全3幕(プロローグ、エピローグ付)のバレエである。台本は小説家、音楽はフランツ・リスト(ジョン・ランチベリー編曲)、振付はケネス・マクミラン、初演はロイヤル・バレエ団による〔〔〔Mayerling - 14 February 1978 Evening Royal Opera House Collections ONLINE 2012年9月22日閲覧。〕。 1889年1月に発生したオーストリア=ハンガリー帝国の皇太子ルドルフと男爵令嬢マリー・ヴェッツェラの心中事件(マイヤーリング事件)を題材にとり、19世紀末の宮廷社会の中で抑圧されたルドルフの不幸な境遇とその人物像、及び死に至るまでの退廃的な生活を描き出している〔〔英国ロイヤル・バレエ団「うたかたの恋」苦悩の皇太子になりきる 2010/7/7 7:00 日本経済新聞、2012年9月22日閲覧。〕。この作品は『マノン』(1974年)や『ロミオとジュリエット』(1965年)などに並ぶマクミランの代表作としての評価を受けてロイヤル・バレエ団のレパートリーとして定着し、しばしば再演されている〔〔Mayerling (1978) Royal Opera House Collections ONLINE 2012年9月22日閲覧。〕〔 2012年9月22日閲覧。〕〔『オックスフォード バレエダンス事典』514頁。〕。 == 作品について == この作品は、19世紀末のオーストリアを舞台に、皇太子ルドルフの人生最期の8年間にわたる苦悩の日々と悲劇の結末を描いたものである〔〔。台本を手がけたジリアン・フリーマンは、振付家ケネス・マクミランの意向に沿って甘ったるい感傷やロマンティシズムを排除して、複雑な政治情勢と人間関係が及ぼした心理的抑圧を暴き出し、悲劇的事件の核心に迫る台本を書き上げた〔〔〔。バレエ作品としては珍しく男性が主人公として描かれ、物語及び踊りの見せ場の中心にルドルフが存在している〔〔ロイヤル・バレエ団2010年プログラム46-47頁。〕。 入り組んだ人間関係の中、ルドルフと関わり合う多くの女性の中で中心的な存在となるのはマリー・ヴェッツェラである。フリーマンはマリーは単なる悲劇のヒロインとしてではなく、行動力ある野心家であり、「愛のために死ぬ」という妄想に支配された女性として描き出した〔〔。新たな視点によって語りなおされたマイヤーリング事件に至るまでの経緯は、華麗な歴史絵巻や甘美な恋愛譚ではなく、狂気と性と暴力に翻弄される現代人の物語となった〔〔〔『バレエ・ビデオ・ベスト66』36-37頁。〕。物語は映画的手法を取り入れた回想形式で進行し、性と暴力、退廃と死の匂いを濃厚に漂わせながら展開してゆく〔〔。 マクミランから作品にふさわしい既存の音楽を選んでアレンジしてほしいとの依頼を受けたジョン・ランチベリーが、真っ先に考えたのはフランツ・リストのことであった〔〔ロイヤル・バレエ団2010年プログラム45頁。〕。その理由としてランチベリーは、時代的にふさわしいことだけではなく、当時のオーストリア=ハンガリー帝国の存在と、作品中でハンガリーの高官たちが果たす重要な役割を勘案すると、オーストリア系ハンガリー人の血を父方から受け継いでいるリストは地理的にも合致する位置にいたことを挙げている〔。それにも増して、ランチベリーはリストの音楽が持つメロドラマティックな要素に魅せられていた〔〔。ランチベリーは、『ファウスト交響曲』のオープニング部から「拳銃」のモチーフのアイディアを得た〔。彼は1月がかりでリストが遺したピアノ曲すべてを演奏してみて、各場面にふさわしい曲を検討していった〔。 『メフィスト・ワルツ』第1番『村の居酒屋での踊り』(1856年-1861年頃)は、第2幕1場の居酒屋での場面に使われた〔〔。ランチベリーはこの曲について、ピアノ曲をオーケストラ用に編曲するにあたって、ピアノとオーケストラという2つの形態を注意深く検討することで計り知れない価値のあるものを習得できてよい参考になったと記述している〔。彼はまた、できるだけリスト自身が行った編曲と同じようにオーケストレーションと編曲をすることを試みた〔。 それぞれの幕の終わりには、ルドルフと相手の女性によるパ・ド・ドゥが踊られる〔。1幕ではステファニー皇太子妃、2幕と3幕ではマリー・ヴェッツェラと踊るパ・ド・ドゥは、ルドルフの性格的破綻が増して、ついには破滅へと追い込まれていく段階を表現し、3幕の最後では殺人と自殺という結末を迎える〔〔。ランチベリーはこれらのパ・ド・ドゥに使う曲を、強烈な感情表現を可能にする曲として『超絶技巧練習曲』12曲の中から選曲した〔〔。 ランチベリーが当初悩んだのは、第1幕1場の婚礼を祝う舞踏会に使う曲のことであった〔。リストは舞踊曲形式の作品を多く作っていたが、ランチベリーの感覚ではどの曲にも「簡潔さとフォーマルな感じ」が十分ではなかった〔。そこでマクミランとランチベリーはヨハン・シュトラウス作曲のワルツを使うことも考慮したが、検討を重ねた末にその考えは断念した〔。ランチベリーはリストがフランツ・シューベルトのワルツをもとに編曲した『ウィーンの夜会』(1852年-1853年)という曲の存在を思い出し、この曲を使うことにした〔〔。 ルドルフとエリーザベト皇后の場面では、リストが皇后のために作曲したピアノ曲を使用した〔。ランチベリーはリストのピアノ曲だけではなく、交響詩や歌曲など作品全体を検討し、使い古されたような曲はできるだけ避けることを心掛けた〔。さらにリストの55作ある歌曲の中から『我は別れゆく』(1860年)〔邦題は『別れ』とも訳される。〕を選び、ルドルフが死を意識し始める場面に使用している〔〔。初演時にこの歌曲は、カタリーナ・シュラット役を演じたアイルランド出身のメゾ・ソプラノ歌手によって歌われた〔〔〔実際のシュラットは歌手ではなく、女優であった。〕〔初演後すぐに上演時間短縮を図ってこの場面を切り捨てて女優による朗読に差し替えたが、劇的効果が著しくそがれたためにすぐに元に戻されている。〕。 マクミランは、時に中空に女性の体を投げ出し落下させて支える技巧や何回も複雑に姿勢を変化させるリフトを多用し、男女の体がもつれ合って折り重なり絡まってほどけることを繰り返したり、さまざまな造形の変化を見せたりするスピード感ある動きでこの作品を振り付けた〔〔〔。マクミランがかつて振り付けた悲劇的な恋愛譚『ロミオとジュリエット』や『マノン』とは違い、スピード感ある動きがもたらす快楽と高揚感は直截には表現されず、歪められた悦楽と死につながる暴力を伴った激情に変化している〔〔。 通常のバレエ作品では、主役と踊るのは恋の相手役か、あるいはその恋敵役との場面が加わる程度であるが、この作品では主役のルドルフに多くの舞踊場面が与えられている〔。ステファニーに暴力をふるう1幕のパ・ド・ドゥや2幕と3幕でのマリーとのパ・ド・ドゥなど、ルドルフは6人に及ぶ女性と10回以上踊り、複雑な人間像の移ろいを表現していく〔〔〔[http://www.chacott-jp.com/magazine/world-report/from-london/london0911a.html 絵になったペネファーザーとハミルトン、マクミラン『マイヤリング』[2009.11.10]] Chacott webマガジン DANCE CUBE ワールドレポート 世界のダンス最前線 From ロンドン 2012年9月22日閲覧。〕。ルドルフを踊るダンサーには、ただ与えられた振付をこなすだけではなく、悲劇の結末に向かって突き進んでゆく屈折した人間像をいかに表現するかの演技者としての資質も要求され、バレエ作品中で最も難しい男性主役といわれる〔〔〔。 ルドルフ役は当初、が予定されていたが、故障のために振付段階の半ばからデヴィッド・ウォール(David Wall)に変更された〔〔〔『オックスフォード バレエダンス事典』212頁。〕。マリー・ヴェッツェラ役には、マクミランのミューズと言われたカナダ出身のバレリーナ、が起用された〔〔〔『オックスフォード バレエダンス事典』78-79頁。〕〔『オックスフォード バレエダンス事典』518-519頁。〕。完成した作品は、1978年2月15日にコヴェント・ガーデンのロイヤル・オペラ・ハウスで初演された〔〔〔。作品は『マノン』や『ロミオとジュリエット』などに並ぶマクミランの代表作としての評価を受けてロイヤル・バレエ団のレパートリーとして定着し、しばしば再演されている〔〔〔〔。なお、マクミランは1992年のこの作品の再演時に公演中の楽屋で心臓発作を起こして生涯を終えている〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「うたかたの恋 (バレエ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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